今月のエッセイ(2024/6)
Author: セプティマ・レイ
6月です。6月1日に東洋大学で公開講座を開催しました。80名近くの方に参加して頂きました。今回は学生の参加者が多く、学内のポスターを見て申し込んだ学生も少なくありませんでした。毎回自分でポスターを作成するのですが、苦労して作った甲斐がありました。今回も安藤ゼミの卒業生が多数参加してくれました。公開講座の後、同窓会を開きましたが、現役生を含め、31名の参加者が集まりました。1期生から10期生までのゼミ生の顔を見ると、10年の歴史を感じて感無量でした。
2か月くらい前から左肩がずっと痛むので、近所の整形外科に行ってきました。MRIを撮ってもらったら腱が1本切れていました。幸い手術ではなく、リハビリで様子を見ることになったので、少々ホッとしています。利き手ではないので、あまり不自由はないのですが、寝返りができないのがしんどいです。少し前まではズボンのポケットに手が届かなかったのですが、徐々に動くようになってきました。還暦過ぎて50肩になるとは思っていませんでした。健康には絶対の自信があったので、少々ショックです。
二十代前半に高校教師をしていましたが、この頃は18コマ(1コマ50分)を担当していました。今とは違って若くて元気だったので、授業後に毎日のように飲みに行っていました。というのも、学校は16時頃に終わるので、部活(軽音楽部)がない日は暇なのです。私が勤めていた高校は自宅から電車で30分という近距離にあったので、よく終電まで飲んでいました。今考えると、もっと授業の準備に時間をかけるべきだったと反省しています。毎日飲み歩くなんて、今では到底考えられません。
その頃は本当に貧乏だったので、飲み仲間の先生と二人でお店に入り、最初に有り金を全部渡して、「お金がなくなるまで飲ませて」と言って飲みました。このやり方だと、お金が足りなくなる心配はありません。定期券があるので、有り金をはたいても電車には乗れます。当時、月給は税込で10万円ジャスト。自宅だったので何とかやりくりできましたが、到底アパートを借りることができない給料でした。今ではほかの高校に買収されてしまって、名前もなくなりましたが、懐かしい想い出です。
40年近く続けてきた教員生活もあと4年で定年です。我ながらよく続けてきたと思います。続けてきた理由はただ一つ。学校が好きだからです。最も多くの人と出会える職業、それが教員です。40年学生に教えてきたというよりも、40年学生から教わってきました。同窓会で教え子たちと会って、「この子たちに大事なことを教わってきたな~」と胸が熱くなりました。「いい子はずっといい子なんだ」これがこの日の実感です。あと何人の教え子と巡り合えるのかと思うと、少々寂しくなる今日この頃です。