今月のエッセイ(2019/05)
Author: セプティマ・レイ
5月です。令和になりました。30年前は日本全国が自粛ムードで、とにかく静かにしていたように記憶しています。当時、私は25歳。勤めていた高校を辞めて、転職活動に勤しんでいた頃でした。1989年といえば、まだバブルが弾ける前です。しかし、面接を受けた会社には全部断られ、意気消沈の日々を送っていました。最後の手段として、まだ試験が間に合った法政大学大学院の入試のために英語の勉強を必死にやっていた頃でした。
ちなみに法政大学大学院の筆記試験は合格し(定員7名で9名が合格)、友人と祝杯を上げましたが、二次の面接で見事に落とされました(2名が不合格)。不合格者はどちらも他大出身者でした。ちなみに筆記試験の時に法政大学の学生が和気あいあいと教授の専門分野や発言から問題を予測しあっていました。「他大生にとってはかなり不利だな」と内心思いましたが、二次の面接でもAWAY感が全開でした。実際、意地悪な質問ばかりで「これは落ちたな」と感じました。
2歳年上の兄の力を借りて、1989年5月に音楽出版社大手の日音に就職しました。日音で社長と常務の面接を受け、その場で内定をもらった日の午後、別の音楽出版社と履歴書を送っていた私立高校から連絡があり、内定をもらいました。それまで大苦戦していた転職活動が嘘のようでした。結局、最初に内定を出してくれた日音に入社しましたが、もし私立高校から先に内定が出ていたら、今でも高校の教師をやっていたと思います。
このような経緯で平成の30年間、私は音楽業界でずっと働いてきました。後半は大学教員という二足の草鞋を履くことになりますが、主軸は音楽ビジネスに置いてきました。令和の時代に入り、自分が活躍できる期間はせいぜいあと10年となりました。ここ数年、「最後の10年は気の合う人と好きな仕事をする」と決めていました。世の中には「何なの?この人」と呆れるような人がたくさんいます。そういう人と我慢して仕事する時間的余裕はありません。そういう意味では、令和は新しい門出を迎えるにふさわしい年だと思います。
私にとっての「気の合う人」を講師に迎える今年の東洋大学の公開講座は、令和元年にふさわしいプログラムだと思います。6月22日(土)と6月29日(土)の2日間にわたり、エンターテインメント業界で活躍する実務家3名を迎え、音楽配信、マーチャンダイジング、ファンクラブ運営といったアーティストをサポートするビジネスが現在、どのように運営されており、今後どのように展開されるかについて、詳細かつ明快に解説します。みなさまのご参加を心よりお待ち申し上げております。
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