今月のエッセイ(2013/03)
Author: セプティマ・レイ
3月は卒業の季節です。私の担当する早稲田大学の知的財産法演習を受講している4年生のゼミ生たちももうすぐ卒業です。彼らは4月から社会人1年生として社会に第一歩を踏み出すことになります。2年間の短い付き合いでしたが、安藤ゼミの1期生ということもあって、とても思い入れのあるゼミ生たちです。
思い返せば、私が社会に出た1987年はちょうどバブル景気の真っ只中。まさにイケイケの時代でした。教員志望ということで、まともな就職活動はしませんでしたが・・・。真剣に就職活動をしたのは、高校の教員を辞めた1989年のことです。この時、まだバブル景気は続いていたのですが、特技がスポーツと楽器演奏だけという私は、就活でかなりの苦戦を強いられました。
なんとか面接までは行くのですが、最終まで残らないのです。不採用通知を受け取るたびに人格を否定されたようで「就活って嫌だな~」と心底思いました。ただ、就活の厳しさを知っているおかげで、現在、学生の相談に乗ることができるのは、思わぬ収穫でした。コネで入った大学教員には彼らの気持ちなんて到底わからないでしょうから。
しかし、ゼミを運営するようになって、今度は人を選ぶことの難しさを痛感させられています。私のゼミは倍率が3倍近いので、限られた時間ではありますが、一人ひとりと面接して慎重に選考しています。ただ、正直いうと、10分くらいの面接ではその人の性格や素質が十分にわかるわけがありません。どうしても第一印象に頼らざるを得ないのが本音です。
考えてみると、点数で結果が出る筆記試験と違って、面接試験というのは罪なものかも知れません。秋田大学医学部の入試で、筆記試験は高得点だった女子学生が面接試験で0点をつけられたため、不合格になったというニュースが話題になっています。このケースは大学側が故意に落とそうとしたことが明白ですが、仮に30点だったとしたら「印象が悪かったのかな~」と泣き寝入りするところでしょう。逆に筆記試験の成績が悪くても、教員が故意に面接試験で100点をつければ、お気に入りの学生を入学させることができるわけです。
ことほどさように面接試験とは罪作りなものです。選考の基準がまったく理解できないケースも少なくありません。ただ、そういう時は「縁がなかった」と思うようにしています。所詮、人間の出会いは縁ですから。一生で出会える人の数を数えたら、出会えた方が奇跡的なわけです。そう考えないと、面接試験なんて正直受けていられませんものね。